『国に寛ぎを』…と書き、国寛(くにひろ)という名を外祖父(善行)が付けてくれました。
4つ上の姉には『安心できる世の中となりますように』…と、安世(やすよ)と付けたそうです。
実は、私のもう一つの名前候補がありました。『武士道をうけつぐ』…『武嗣(たけつぐ)』だったそうです。
これを私が受けつぎ、息子の名前として名を託しました。
祖父は全国の酒造を歩き、日本酒新聞を創る会社を経営していました。
自分の名前、姉の名前、そして託した息子の名前を観た時に、『次の世代に託す』という思いが強かったんだなと思います。
お祖父さんは、日本のことを愛していたんだなと感じます。
今の国は自分の為に在らず、次の世代の為に在り…と、思っていたんだなと感じます。
そのお祖父さんは、現代ではありえない医療ミスで61歳で亡くなりました。
2024年10月、私はパラオ・ペリリュー島に導かれるように行ってきました。
旅はどこへ行くかより、誰と行くか。
縁があり、『お父さん、日本のことを教えて!』の著者である赤塚高仁先生と共にパラオ・ペリリュー島を足の裏で感じました。
自分自身の足の裏で感じたことこそが真実であり事実です。
私がオヤジと呼んでいる髙取宗茂と共に慰霊が出来たことも宝。
オヤジが感じたもの、私が感じたもの、そして共に行った家族とも呼べる仲間たちが感じたもの。
それぞれが足の裏で感じたこそこそが事実です。
現地のガイドの石川善寛さん。
赤塚先生や靖国神社を代表してパラオに行った我々を感じて一緒に涙を流していました。
石川さんは偶然ですが年も同じ、そして亡くなったお祖父さんの『善』そして私の『寛』を合わせた善寛という名前にも縁を感じました。
日本から遠く離れたパラオのペリリュー島では、多くの血が流れました。
1944年太平洋戦争中、圧倒的な物量と兵力差で当初は4日で陥落と言われたペリリュー島。
日本への攻撃を遅らせる為に硬いサンゴで出来た岩に洞窟を掘り、2ヶ月半もの間持久戦を耐えました。
この戦い方が硫黄島の戦いに引き継がれていきました。
2015年に当時の天皇皇后両陛下が慰霊に来られた場所も足の裏で感じてきました。
パラオは日本が統治していた時代があります。
スペイン・ドイツ・そして日本が統治していました。
敗戦後はアメリカが統治しています。
パラオ国民に実際の話を聞くと『日本の統治時代が最もよかった。日本人は学校を作ったり、農業を教えてくれたり、我々と共に生きようとしてくれた。』と言っていました。
日本は『知らす国』と言われています。
知らせて『共に』生きることができる民族であると言われています。
現代でも戦争が後を絶ちません。
それは『うしはく国』といって、奪い合いの国が多いからです。
国会議事堂には未だに日本とパラオとの友好関係が観えます。
足の裏で感じて、実際に自分自身が体感することが大切な時代です。
現代の情報社会において、調べれば情報が見つかります。
私は『悟ったつもり』をしていたなと痛感しました。
現代の日本は『知ろうとしないと知ることができない』という教育です。
教わったことを頭で覚えているのが正しい教育です。
テストでいい点を取れば、よい教育を受けているという教育です。
教育の教が、育を越えてはならない…ということを感じさせることができる教育者がいないのです。政治家も同じく。学校の先生も同じく。子供を持つ親も同じく。部下を持つ先輩も同じくです。
魚に水が観えないように、
鳥に空気が観えないように、
自分自身が自分自身を観えていません。
そして、日本人に日本という国が観えていないのです。
『感動と気骨なき民族は滅びる』…という言葉があります。
『民族の歴史を失った民族は滅びる』…という言葉があります。
2685年という世界一長く続く日本という国だからこそ。やることは一つ『知ること』です。
私も実は、40歳になるまで知ろうとしなかった自分がいます。
知ろうとすることにさえ気が付かなかった自分自身への『驚き』が、今の歩みです。
驚愕・懐疑・自反
驚いて、疑って、自分に返る。
驚かないと先に進めない。
感動もない。
燃えない。
私が今、世界一鍼を狂ったように打ち続けている理由も、鍼の世界に入ってから驚きの連続だからです。
『鍼治療でこれほどまでに現代人が悩んでいる病気が治るのか!』
『首コリ治療で世界が変わるぞ!!』
『トリガーポイント治療はこれほどまでに自律神経に影響があるのか!!』
『鍼治療は全科対応ではないか!!』
貫いて貫いて、
哲学して私の今までの驚きの連続が詰まっている本も出すことができました。未だに驚き続けています。
日本を知ることが世界を知ることに繋がるというのも驚きです。これは人間と向き合うという私の鍼治療哲学とも重なります。
おかげさまで、日本はいい国です。
後は任せて下さい。
受け継いで参ります。