国立おざわ鍼灸・整骨院の原点コラム My private

院長の小沢国寛です。
私の【素】の部分を少々紹介させてください。

私は兵庫県芦屋市に生まれました。芦屋市と言いましても父が某ビール会社勤務のサラリーマンだった為、バブリーな時代に社宅がありました芦屋で生まれた…というだけ。『出身地は芦屋です』というのはほぼネタです...。祖父は国立市の谷保出身。谷保には小沢が多いのです。国立駅が出来る前に現在の治療院(本院)がある土地を祖父が買い私の父が生まれました。私も生まれてすぐに戻ってきたので、国立は超・地元。30年以上住んでいます。

実は泣き虫でした。

泣き虫幼稚園児だった私は毎日シクシクと泣いて帰る日々。それを見かねた両親が6歳のとき、私を空手道場に放り込みました。当時の空手道場と言いますとここでは書けない位に厳しい現場で、そこでも泣いて帰る日々。しかしその涙は自身を強くする涙。涙にも色々な種類があるものです。偶然にもその道場は空手道の世界チャンピオン2名が開設した道場で、私も3段まで取りました。当時の道場は『道』の精神を教わるには十分な現場であり、そこで19歳まで空手道に邁進しておりました。その後道場の移籍もありましたが、23歳位まで稽古の傍らチャンピオンの付き人もしておりました。患者様への気遣いなど、少し『武』を感じてしまうかもしれませんがこれも私の【素】でございます。

この土地で何か事業を始めたい。

高校の頃から将来を考えるようになり「この土地を活かして何か事業を始めたい」と思うようになりました。初めは『よし、医学部!』と思いましたが学力が及ばず浪人を経験。浪人時代、普通は学業に専念する所です。…が、なぜかフリーな気分になってしまった私はサボりにサボります。ある時、サボり中にコンビニで雑誌を見ておりますと『鍼治療・東洋医学』といった言葉が私の脳に突き刺さります。武道をやっていたからでしょうか、『これが私のやりたい事!』と東洋医学に突き進むことを決断します。

学びたい一心でアポなし訪問。

鍼治療学生時代…になる前に東洋医学の学校へ手ぶらでアポなし訪問。『これからの鍼治療の未来についてこれから鍼治療を学ぼうと思う私に教えて下さい!』と質問しに行きました。その時に未熟な質問に応えてくれた先生は後々知りますが書籍も出している有名な中医師。『土台を大きく作りましょう。その土台に立つものはブレず、大きいものになります』そう教えてくれました。単純な私は感動し、『願書下さい』と告げ、手ぶらだった右手に未来を持って帰ります。この事がキッカケで、将来的に遼寧中医大学へ特別研修に行く事になります。

トリガーポイント治療との出会い。

入学後、東洋医学には様々な治療法がある事を知ります。『全部知って、自分自身がずっと続けていける、手に合う技術で開業する』それを目標にして学びました。途中、骨・靭帯・関節・骨格筋・リハビリテーションなどなどの知識を更に深めたいという事で国立駅近くの柔道整復師の国家資格が取得できる学校にダブルスクールしました。様々な治療法を経験し、色々な事を学んでいく中で『トリガーポイント治療』というのは鍼による響きの感覚が、自分の身体が治っていく感覚に感じます。その時の感動体験が、当院のコンセプトとなる「鍼の力に感動してほしい」の始まりです。私自身空手道時代が長かった為、首が悪く、実際にトリガーポイント治療を受けますと『あ、そこが悪い場所!』という『認知覚』を感じました。痒い所に手が届くトリガーポイント治療は鍼先をポイントに当てていく鍼治療技術に特化している為、『追求するにふさわしい鍼治療技術である』と考えています。

教わり・教えていくことの大切さを知る。

『院長はどこかで修行されたのですか?』と、よく聞かれます。正直研修と言いますと飛び込み&頭を下げて『無給でいいので研修させて下さい!』と50件ほど回りました。当然断られる所が大半ですが時にOK!と言ってくれる所もあります。本当にありがたいと思いました。今思えば、その時の経験が学ぶことと同時に、後輩に伝えていくことの大切さも教えてくれ、現在の国立おざわのスタッフ教育につながっているのだと思います。

ベッド一台の治療室でスタート。

研修させて頂く中で、ちょうど祖父が経営するアパートの一室が空きました。祖父に『開業したいからアパート一室貸して下さい!』と言い、2007年1月24日に原点が誕生します。これが『おざわ荘治療室』。ベッドは2、3台置く事は出来ましたが、1対1の対応を学ぶ為にあえてのベッド一台で開業する事にしました。駅前でビラ配りや夜間に走りながらポストインなどもしました。引き寄せでしょうか。不思議と患者様との出会いが多くなります。ベッド1台の治療室は当時23歳の若者(バカモノとも読む)でしたが鍼治療に対するアツい想いだけで1年で予約が満員になりました。

親子三代の思いが詰まった治療院へ。

祖父の身体が弱り(実家の隣に住んでいた。当時96歳)、『一緒に住むか』となった時、ちょうど父の退職と重なります。これを機に『日本でイチバンの鍼治療院を作りたいから協力して下さい』。そんな一言で実家を1件・祖父の家を1件・小沢荘のあったアパートを2棟解体しまして現在の治療院をつくりました。祖父の大切にしていた植木が沢山あったのですが、『お前の夢の為ならば』と建築に賛成してくれました。現在の治療院は親子三代の思いが詰まった場所。私は小沢の三代目。治療院を開業してからの初代です。『土地は3代で…』という言葉がありますが、これは私が高校時代に『この土地で事業を始めたい』と思ったキッカケでもあります。祖父(頑固爺さん)は『土地ってのは3代で無くなっちまう事が多いんだ。』とよく言っていました。なので自分のプレッシャーにもなる様、『この土地に仕事を作る』という決断をしました。今では良い決断だと思っています。

出会う人たちから成長のエネルギーをもらう。

当院HPはおざわ荘時代から12年間通院して頂いている元気なトライアスロンおじさんが、出会って10年後に実は有名なWEBデザイン会社の社長だと知り(仕事とかあまり聞かない)…で、お願いしたものです。自分の鍼治療を受けてくれていた人が作ってくれたら、これから出会う患者様にも一番思いが伝わるのでは…と考えたからです。 今まで沢山の社員達にも会いました。患者様から成長させて頂く部分もありますが、社員達から成長させてもらうキッカケも多くあります。社員は全員が国家資格を所持しており、『これから開業するぞ』『鍼治療技術を学ぶぞ』という熱があります。その熱を感じながら1日を過ごしておりますと、私も社員教育にも熱が入ります。開業した社員達とも交流を続けておりまして、お互いに率先垂範して盛り上げていこうと常々語り合っています。出会いは引き寄せ。出会いには一つの無駄もないと思います。

趣味の話で恐縮ですが...。

空手道を長年稽古してきましたが、他にも趣味が多々あります。 クルマ・時計(手巻き)・ゴルフ・釣り・(お酒) バイクは今まで8台ほど乗り継ぎましたが開業や社員を抱える身となってからは乗る機会は無くなりました。アメリカンバイクが好きで、ドラックスターやスティード。マニアな部門ではKawasakiのバルカンドリフターなどを乗りました(エスカルゴフェンダーでカッコ良い)。ハーレーダビッドソンは夢ですね。

タイヤが付いたものは病気的に好き

とにかくタイヤが付いたものは病気的に興味があり(これは鍼では治らない)、車は永遠のテーマです。車も進化しているので、その進化に合わせてライフスタイルを考えていくのも面白い事でしょう。 初めて乗った車は三菱パジェロミニ。これはなかなか面白い車で、高速で乗りますとエンジンから火を噴くのではないかという音を醸し出します。ベンツのAクラスはコンパクトさが好みで『オニギリ』と呼ばれるA160の頃から興味があり、結局時代的にA170は私の初めてのマイカーでした。(13年前)。A45-AMGが出た時は即試乗。エディション1のコンセプトは感動です。クラシック部門で言いますとジャガーのE-typeはいつしか乗りたい車(維持費が恐い)。AMG-GTやSLS-AMGなどのショートデッキロングノーズの古風なスタイリングは乗る人が『前が見えにくい!』というもの。そんな車が好きなのです。車が好きな人ならわかると思いますが、車高が高い車に乗りますと、車高が低い車を求め始め、、、そしてまた…と繰り返します。たくさん車を乗り継ぎましたがハイブリッドや電気自動車が出る中、永遠と燃費が悪い車に行きついてしまいます。やはり車らしい車を求めますと、イタリア車orクラッシックカーに落ち着くのは私だけでしょうか。

モータースポーツにも挑戦中!

しかし車に乗るという時間もあまり無く、年間3000キロ走って『今年はよく走ったなぁ』と言えるくらい。逆に燃費効率は良いかもしれません。 レーサーの患者様がおりまして、そのきっかけでモータースポーツも行います。御殿場にカートを一台所有しておりまして、年に2,3回(少ない)位はサスペンションの無いカートで地べたを120キロで走ります。時にサーキットへ行く事もありますが、サーキットで250キロ出すよりもカートで120キロ出す方が速度感があるものです。カートのドライビングテクニックは日常の運転でのとっさの判断などにも非常に役に立ちます。

ゴルフ道にもハマってます。

ゴルフは『ゴルフ道』と呼びます。ゴルフの練習を『ゴルフの稽古』と呼びます。ゴルフは私にとって修行でして、スコアが悪い時・調子が悪い時・調子が良くてもスコアが良くても調子に乗らないその感情。人生の先輩と一緒に楽しめるスポーツ。そんな理由でゴルフは10年続けています。(上手くなりませんが)。これまた行けて月1回。その1回でいかに楽しむかを考えています。

釣り、お酒好きの遺伝子も
受け継いでます。

釣りでは古風ですがアユ釣りをします。母方の祖父がアユ釣りの達人だった事もありまして、代々友釣りを学びます。友釣りは仕掛けや友誘導のテクニックなどが難しく、その難しさがハマる理由。他にも釣りはなんでもやります。アユ釣り名人の祖父は日本酒専門の新聞社を経営していた経緯があり、私も遺伝という理由でお酒を飲みます。銀座に開業したのは銀座のBARに行く為…という訳ではありませんが、銀座のバーには歴史があり、飲みながら色々なお話を聞きますと人生勉強になります。銀座院もバーテンダーのお客さんが多いです。社員達も良く飲んで、よく食べる者が多く(一言で『酒豪』という)、国立のお店では『あ、この人達また来た』という位、夜な夜な社員達と一緒に飲んでいます。昭和ですが、飲みにケーションが盛んな国立おざわの社員達。(院長がウィスキー大好きおじさん…というのが理由の一つ)

この度HPをご覧になってくださった方に感謝致します。 プライベートページにて本当に恐縮ですm(__)m

まだまだ語ると引き出しは沢山ありますが、この辺で。